読点とは?3つのルールで使い方・打ち方・位置は決められる

文章中に読点(、)を打つとき、どのような原則にあなたは従っているだろうか。正確に使わなければ文の意味を読点が変えてしまう危険性があり、”正しい使い方”が各所で語られている。今回は、ネイビープロジェクトで参考文献として利用している『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)のメソッドをベースに、読点の正しい使い方を押さえていく。
【注釈】
修飾部や修飾節などと本来は呼び分けるべきところを、広い意味での“かかる文節”を「修飾語」と本記事では総称している。
- 1. 読点とは?役割や読み方を確認
- 2. 読点の使い方・打ち方・位置に関する3大原則
- 3. 読点の打ち方・使い方・位置が悪い例
- 4. その他の読点の使い方を本多氏の原則に当てはめて考える
- 5. 読点は原則を意識して使おう
読点とは?役割や読み方を確認
読点「、」とは、文章作成に用いられる記号・約物の一種である。「読点」と書いて「とうてん」と読み、下記のような役割を果たす。
- 文中における意味の切れ目を示す
- 誤読なく文意を解釈しやすくする
- 文中の一部(単語や文節)を強調する
- 思想の最小単位を示す
読点の役割【1】:文中における意味の切れ目を示す
腹を立てて、A君はその場を去った。
上の例文は、「腹を立てて」と「A君はその場を去った」が読点によって接続されている構造だ。「腹を立てて」は、「A君はその場を去った」という結果に対する原因といえる。つまり「原因→、→結果」という構造だ。読点を書かずに、「腹を立ててA君はその場を去った」と書いても問題はない。ただ、原因と結果という意味や役割が異なるもの(文)をつなげるときに、それぞれを区別しやすくするために読点を補うのだ。
読点の役割【2】:誤読なく文意を解釈しやすくする
腹を立てたA君とB君はその場を去った。
「腹を立てた」を「A君」だけにかけたつもりが、「B君」にもかかるような構造になっている。そのため腹を立てたのが“A君だけ?”・“B君も?”かが一文だけでは判断できない。誤読の可能性があるこのような場合に、下のように読点を補って文意を解釈しやすくする用途がある。
腹を立てたA君と、B君はその場を去った。
腹を立てたA君とB君は、その場を去った。
読点の役割【3】:文中の一部(単語や文節)を強調する
この役割にはなじみがない人もいるかもしれない。例文を挙げて考察してみよう。
彼は、続けた。
「彼は」と「続けた」をわざわざ読点で分けている。しかし、読点がなくても文は成立する。あえて読点によって独立させることで、「彼は」を強調する(見ただけで特別な意味があるように感じさせる)効果を活用するためだ。
たとえば他の人は止めてしまった中で彼だけが続けたのであれば、“彼は”を強調するのは当然だろう。強調の手段として、読点が効いているわけだ(副助詞の「は」も、強調や区別の役割を果たしている)。上の例文のように打たれると、筆者が“あえてやっている”と読者にも気づいてもらう目印になる。
読点の役割【4】:思想の最小単位を示す
彼は続け、た。
先の例文を書き換えた文だが、上のような読点の使い方をする人はまずいないだろう。さきほどと同様に、描写の背景を考えてみよう。彼が続けた・止めた(続けなかった)かがストーリーで重要になる場面をイメージしてほしい。すると「続け」まで書いたのちに読点を打てば、後の「た」に特別な意味を込められる。このような自由な読点は、参考文献である『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)でも「筆者の思想としての自由なテン」と呼んで肯定されている。
読点の使い方・打ち方・位置に関する3大原則
役割を理解した上で、正しく読点を使うための原則を学んでいこう。『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)で紹介されている三つのルールを、本記事でもチェックしていきたい(参考文献では二つだが、わかりやすさの観点で三つに当社でまとめ直した)。
読点の使い方・打ち方・位置の原則【A】:長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界線に読点を打つ
成功の秘訣は周りからのアドバイスだと言われると上司のマネジメントがよかったのかなと思う。
見てのとおり上の文には読点がない。原則【A】では、修飾語の境界線に読点を打つわけだが、どこがいいだろうか。修飾語ごとに分解して考察してみよう。
「思う」に対して二つの修飾語がかかっている構造だ。原則【A】に従って、二つの修飾語の紹介線に読点を打ってみよう。
成功の秘訣は周りからのアドバイスだと言われると、上司のマネジメントがよかったのかなと思う。
読点の位置は自然に感じるのではないだろうか。これぐらいなら特に説明も必要ないかもしれない。では、修飾語を増やした下の例文はどうだろう。
入社当初からの苦労を知る同期も新人も彼の成功談を聞くと自分のことのように喜んだ。
修飾語のまとまりを意識しながら読点を打ってみよう。下の2パターンだと文にどのような違いがあるだろうか。
(a)入社当初からの苦労を知る同期も新人も、彼の成功談を聞くと自分のことのように喜んだ。 (b)入社当初からの苦労を知る同期も、新人も、彼の成功談を聞くと自分のことのように喜んだ。
(a)には読点が一つ、(b)には二つある。読点のあり・なしによる意味の違いを考えてみよう。(a)は、成功した彼の同期も・新人も、入社当初からの苦労を知っているという意味になる。(b)は、「入社当初からの苦労を知る同期」と「新人」とを読点で区別している。
一般的に、入社当初からの彼の苦労を知っているのは先にいた先輩か一緒に入った同期だけである。“新人”と呼ばれる後から入ってきた人は含まれないはずだ。よって(b)の方が好ましいと考えられる。つまり原則【A】を正しく使っていくには、文の意味を正確にまず捉えてから、修飾語がかかる部分(境界線)を丁寧に見定める必要があるのだ。
読点の使い方・打ち方の原則【B】:語順が逆の場合は読点を打つ
私が涙が出るほど大好きなBを私の恋人CにAが紹介した。
読点がなくても上の例文ならば読めなくはないはずだ。それでは文を変化させてみよう。
Aが私が涙が出るほど大好きなBを私の恋人Cに紹介した。
途端に読みにくくなったのではないだろうか。下のように読点を打つ場合はどうだろう。
Aが、私が涙が出るほど大好きなBを私の恋人Cに紹介した。
読みにくさが解消されたはずだ。最初の例文では、「紹介した」の直前に「Aが」があった。しかし書き換えによって冒頭に移動したため、「Aが」と「紹介した」の関係性がわかりにくくなった(「Aが私が涙が出るほど……」と、連続する言葉の一部として「Aが」を解釈しようとする余地が生まれた)のだ。
文章をわかりやすくするためには、修飾語の順序を「長い修飾語前に、短い修飾語を後ろに」するのが原則である(詳しくは別記事を参照)。上の例文は、「私が涙が出るほど大好きなBを」と「私の恋人Cに」と「Aが」の三つが「紹介した」にかかる構造をしている。最も短い修飾語「Aが」が文頭にあるのは、修飾語の原則の違反だったのだ。紹介したさまざまな役割に応じて、修飾語の原則に反する順番で言葉を並べたときの目印を示す(“あえてやっている”のを明確にする)ために読点の原則【B】は役立つといっていいだろう。
読点の使い方・打ち方の原則【C】:重要でない読点は打たない
AがBをCに紹介した。
上の例文では、「A」「B」「C」が「紹介した」にかかっている。「Aが、Bを、Cに紹介した」としても誤りではない。しかし修飾語が短いので、読点はない方がスムーズに読めるのではないだろうか。つまり、あってもなくてもいい程度の重要でない読点は打たないのが望ましいのである。
あっ、日本株まで暴落した。
君、あれほど大丈夫だと言っていたではないか。
はい、しかし株の短期的な値動きと人の心だけは読めないものです。
新たに三つほど例文を書いた。『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)では、上の例文のような読点を下記のように紹介されている。
これはどうやらテンの「必要」がない例といえる。つまり構造上のテンとは別のものなのだ。わかりやすくいえば、これはマルとか感嘆符のような別の記号で置き換えることもできる。
『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)
つまり読点を使わなくとも表現できる場合はほかの記号で代用するのがいいのだ。理由は単純で、原則【A】と【B】を無視して打たれた読点は文をわかりにくくさせるからだ。たとえば下記のように表現すればいい。
あっ!日本株まで暴落した。
君!あれほど大丈夫と言っていたではないか。
はい……しかし株の短期的な値動きと人の心だけは読めないものです。
読点の打ち方・使い方・位置が悪い例
読点を誤って使うと、本来の役割を果たせないばかりか、文の意味を変えてしまう危険性がある。悪い例文を見ながら確認していこう。
読点の打ち方が悪い例【1】:文の意味が変わってしまう読点
彼はべろべろに酔って、倒れかけた親友を車で送迎して感謝された。
「べろべろに酔った彼が、倒れかけた親友を介抱した」の意味で読んだ人もいるのではないだろうか。しかし実際は、(飲酒運転の状況説明ならばともかく)“彼”は酔っていてはいけない。飲酒運転で送迎をした場合、怒られるか・逮捕されるかはしても、感謝はされないはずだ。もちろん酔っているのは親友で、だからこそ倒れかけている。文の意味から正確な読点の位置を修正すると下のようになるだろう(短い修飾語「彼は」が先に書かれているので、原則【B】に従った書き換えだと考えてみてほしい)。
彼は、べろべろに酔って倒れかけた親友を車で送迎して感謝された。
最初の例文では、読点の打ち方がよくないために、修飾の関係が正しく解釈できない(「酔って」の主が「彼」と解釈できる)ようになっていた。修飾語の順序の原則(詳しくは別記事を参照)に従って適切な語順で書くと以下のようになる。読点を打たずとも状況が読み取れるだろう。
べろべろに酔って倒れかけた親友を車で送迎して彼は感謝された。
読点の打ち方が悪い例【2】:句点と誤解しそうな読点
普段も頻繁に泥酔している、親友は今回も例外ではなかった。
句点と見間違えられる可能性がある読点は打たない方が望ましいと『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)では推奨されている。上の例文では、動詞の「いる」(泥酔する+いる)が読点の直前に書かれているのがわかるだろう。しかし「いる」は、連体形も・終止形も「いる」だ。そのためパッと読んだときに、句点と見間違えて文が終わるように誤解されかねない。「普段も頻繁に泥酔している」は、直後の「親友」にかかる修飾語だ。句点と見間違えられるリスクを考慮すれば、この読点はわざわざうたなくてもいいと考えられる。
その他の読点の使い方を本多氏の原則に当てはめて考える
「このような場合に打て」と、読点を打つのが“いい”・“一般的”と解説されるシーンがいくつかある。細かく覚えるのももちろん間違いではない。ただ『日本語の作文技術』(朝日新聞出版)の本多氏は、原則【A】「長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界線に読点を打つ」と【B】「語順が逆の場合は読点を打つ」だけで大体のシーンがカバーできると解説している。どのようなシーンで読点を打つべきといわれているのか、紹介した原則だけでカバーできるのかを検証してみたい。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅰ】:重文の境目
接続助詞や読点などで複数の文がつながっている文を「重文」と呼ぶ。重文には、同じレベルの述語が一つの文中に複数個あるのも特徴だ
(「A君は腹を立てた」・「A君はその場を去った」だけの、一文ずつの場合は「単文」と呼ぶ。また「腹を立てたA君はその場を去った」のように、修飾語となって述語が文中に入り込んでいる・文末以外にも述語[の変化形]がある場合を「複文」と呼ぶ)。
米国がドル高になり、日本が円安の状態になった。
重文の境目に読点を打てば、それぞれの単文が読みやすくなるといわれている。本記事の筆者も、読点を打つ場合がよくある。ただしわざわざ「重文の境目に」と細かく考えなくても、原則【A】「長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界線に読点を打つ」でカバーは可能だ。
とくに上の例文では、同じ述語「なる」が読点の前後で使われている(一文内に複数回同じ単語が出ている)。「重複」の面でも改善した方がいい。よって以下のように、「なる」を1回だけに「省略」しつつ、かかる二つの長い修飾語の間に読点を打つ方がよいのである。
米国がドル高に、日本が円安の状態になった。
補足:重文のときは「重複」する部分が「省略」されている
腹を立てて、A君はその場を去った。
余談をひとつ。重文では重複する部分が省略される場合がある。上の例文は読点の役割【1】の説明で使ったものだが、違う観点で考察してみたい。この例文は、「A君は腹を立てた」と「A君はその場を去った」が読点でつながっている構造ともいえる。この場合は、下記の要素が省略されている。
●「腹を立てた」にかかる「A君は」:「A君は腹を立てて、A君はその場を去った」と「A君」を2回書かなくても意味が解釈できるからだ(むしろ一文で同じ言葉が重なる「重複」になっている。重複は調整するのが望ましいとされるポイントだ)。
●「腹を立てた」にあった過去の助動詞「た」:「その場を去った」の方にも同様の助動詞があるので、片方だけで意味(時間軸)が伝えられるためだ(「腹を立てたので、A君はその場を去った」などとしても問題はない)。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅱ】:述語が先にくる倒置文の場合
間違いないな、犯人はあの男で。
倒置文は、原則【B】「語順が逆の場合は読点を打つ」で説明できる。「犯人はあの男で間違いないな」と本来は書くところを、倒置によって語順を逆にして特別な意味を持たせているのだ。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅲ】:挿入区の前後または前だけに
長期金利上昇、とくにアメリカのそれがいかに重要か…
この読点は、原則【B】「語順が逆の場合は読点を打つ」を基に考えるといいだろう。「長期金利上昇」と「とくにアメリカのそれ」が「がいかに重要か」を修飾する文だ。短い修飾語「長期金利上昇」を長い修飾語「とくにアメリカのそれ」よりも前に書くから読点を打つのである。
なお仮に、「全期間固定型もしくは固定期間選択型で提供された住宅ローンの支払い額に影響を及ぼす長期金利上昇」のように、元々短かった修飾語が説明などによって長くなってしまった場合は、シンプルに原則【A】「長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界線に読点打つ」で解釈すればいい。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅳ】:呼びかけ・応答・驚嘆などの後
「呼びかけ・応答・驚嘆などの後」については、すでに説明済みだ。原則【C】に従って、違う記号で書き換えるのが望ましい。
あっ、日本株まで暴落した。 君、あれほど大丈夫だと言っていたではないか。 はい、しかし株の短期的な値動きと人の心だけは読めないものです。
↓↓↓↓↓
あっ!日本株まで暴落した。
君!あれほど大丈夫と言っていたではないか。
はい……しかし株の短期的な値動きと人の心だけは読めないものです。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅴ】:接続詞の直後
しかし、彼は首を縦に振らなかった。
ここまで原則【A】と【B】で考えてきたが、この読点は原則【C】で解釈するのがいいかもしれない。というのも原則【A】と【B】では、この読点をカバーし切れない点がまず挙げられる。「しかし」を含む接続詞は、わざわざ読点を打つほど長いわけではない。そして例えば上の例文でいうと、「彼は/首を/縦に/振らなかった」の途中(文節の切れ目)に入っていた「しかし」があえて文頭に書かれたわけでもない。
原則【C】のとおり、「しかし彼は首を縦に振らなかった」と読点を省いた方が望ましいのではないだろうか。実は、ネイビープロジェクトで使っている参考文献の中には、接続詞の直後の読点は不要と説明しているものがいくつかある。
4 誤読、難読の恐れのない場合は、原則として読点を打たない。
(1)「一方」「なお」「また」などの後。
『記者ハンドブック 第14版』(共同通信社)
これはルールというよりフィーリングに属する問題ですが、文頭一語目の直後には読点を打たないほうが、多くの場合、スマートに感じられます。
特に危険なのは、一語目が接続詞のときと、文頭で主語を形成しているとき。これらに続く読点は、仮に意味的に正しくても、間の抜けた印象をもたらしがちです。
『新しい文章力の教室』(唐木元,インプレス)
ただ本多氏は、この読点を”絶対に駄目”とはしていない。読点の役割【4】「思想の最小単位を示す」ための「筆者の思想としての自由なテン」が該当するというのである。
Ⓐしかし、彼女の恋心はそんなことで消えるものではなかった。
Ⓑだが、そうはゆかなかった。例文の「しかし」も「だが」も、ひとつの接続詞にすぎない。ここで筆者がテンをうったのは、この接続詞の持つ反転の意味をとくに強調したかったからである。とくに強調したくないのであれば、「しかし彼女の……」「だがそうは」とテンを省けばよい。
『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)
ネイビープロジェクトでも、原則【C】を意識して”接続詞の後は読点を打たない”のを基本にはしつつも、意図を持って効果的に使えている場合はむしろよい読点だと肯定している。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅵ】:音読して息継ぎをするタイミング
ネイビープロジェクトでは基本的に、このルールで読点を打たないようにしている。理由は、書き言葉と話し言葉は違うからだ。
日本語は原文不一致な言語であり、表音文字であるひらがな・カタカナだけで文章を作ると理解が困難になる(詳しくは別記事を参照)。音(読み方)が一緒なのに意味が違う「同音異義語」も多く、音をキャッチした際に「編集」を無意識のうちに行って該当する漢字を想起しながら私たちは日本語の音を解釈しているのだ。つまり日本語の、とくに話し言葉(音)を書き言葉(文字)の編集するのには技術が必要なのである。
そのため「音読して息継ぎをするタイミング」という話し言葉の考え方で、書き言葉の読点を扱ってはならないと考えている。ここまで紹介してきたとおり、読点の役割や原則を理解した上で読点を打つことをおすすめしたい。
なお”基本的に”と断ったが、放送台本や動画のナレーション原稿のような、音として発するのを前提とした文章では「音読して息継ぎをするタイミング」で読点を打つのも問題ない。もちろん、話し言葉のための原稿だからだ。そして「読点のタイミングで息継ぎをしてもらうイメージで原稿をまとめました」のように、読み手にも編集の意図を伝えるようにしている。
読点を打つのがいいと一般的にされているシーン【Ⅶ】:同じレベルの言葉を並列するとき
「同じレベルの言葉を並列するとき」は、読点ではなくて中点を使うのをおすすめしている。原則【C】に従って、違う記号で書き換えるのが望ましいからだ。別記事で詳しく説明しているので、そちらを参考にしてほしい。
味玉、チャーシュー、白ネギ、メンマを添えて完成です。
↓↓↓↓↓
味玉・チャーシュー・白ネギ・メンマを添えて完成です。
読点は原則を意識して使おう
役割や原則を理解した上で正しく読点を使えれば、統一感が生まれて文章がわかりやすくなる。くわえて原則から“あえて”外れた使い方をできれば、わかりやすさを残したまま、表現の幅を広げられるだろう。さまざま方法論が読点については語られているが、“三つだけ”と手軽でありながら本質的な本多氏のメソッドを多くの機会でおすすめしていきたい。
-
前の記事
文章をわかりやすくする書き方!言葉を並べるときに意識したい4つの原則 2022.10.18
-
次の記事
漢字とカナの使い方 2022.12.09