読みやすい文章のリズムと文体

読みやすい文章のリズムと文体

読みやすい文章には、リズムや文体にストレスが少ない。リズムや文体が悪いと、無意識に読者は読みづらさを感じてしまう。『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)を参考に、リズムや文体の注意点を確認していこう。

読みやすい文章にするためのコツやヒント

文章のリズムは、読者の感覚に依存するところが大きい。小説家を目指す人にとって特に課題とする高度な技術である。にもかかわらず原則や決まったルールがあるわけではない。文章のリズムをよくするための“コツ”や“ヒント”をチェックしていこう。

音読でリズム感を確かめる

文章のリズム感を改良するオススメの方法をまず紹介したい。それは音読だ。書き上がった文章を声に出して1度読んでみてほしい。ただ黙読で振り返っていたときは気にならなかったところが、読みづらかったり間違いに気づけたりするだろう。つまり音読とは、より客観的に文章を把握しやすくする方法なのだ。

校閲用「音声読み上げサービス」を使う

声を出せない場合には、音声読み上げサービスを利用する方法がオススメだ。イヤホンを使えば、カフェやオフィスでも作業できる。Word(ワード)の校閲欄にある「音声読み上げ」でもいいだろう。

読み上げサービスの利点は、文章を客観視できる点だ。文脈を考慮せず、読み上げ機能は文字や単語単位で音声化する。機械的に読み上げられる内容でも淀みがなければ、目で読んでもリズムがよく読みやすいと考えられる。変なところは変なまま読んでくれるため、リズム感の悪さを発見するのに役立つのだ。

また誤字脱字の発見にも音声読み上げサービスは活躍する。書き手自身が音読をすると、先入観があり読んでいるようで読めていない場合がある。音声読み上げのサービスは文章を機械的に読むだけだ。誤字脱字もそのまま読んでくれる。そのため目で原稿を追いながら読み上げを耳で聞いてみると、音読(や黙読)では気づけない誤字脱字に気づけるのだ。

■補足:ネイビープロジェクトの音声読み上げ機能利用状況

原稿確認時(2023年2月11日)に編集者が確認したところ、Wordの音声読み上げ機能は記号の読み上げに難があった(全く関係ない英語を発しだした)。有料の校正ツールに搭載されている音声読み上げ機能を筆者および編集者は使用しており、Wordを実際には使っていない点を含み置いてもらえると助かる。

リズムがよい文章を参考(悪い文章を反面教師)にする

リズムがよい文章に触れるのも技術の向上につながるだろう。リズムがいいと筆者が感じた文章を下に用意した。(他人の文章を「リズムが悪い」と指摘できるような立場でもないので)リズムがよい文章に少々変更を加えながら、リズム感の比較をしていく形をとらせてもらう。

「何もいないね」。同園のニホンノウサギのコーナーは、訪れた客がこう言って思わず通り過ぎてしまうようなたたずまいだ。それもそのはず、いるのは一匹だけ。日中はじっと木の陰に隠れ、客が帰るころに動き出す。
引用:『普段は素通りされるニホンノウサギ1匹 今年こそ光を 東京・井の頭』(平山亜理,朝日新聞デジタル)

早速、変更を加えてリズム感について考察をしていこう。

例に上げた文章は、上のような構造をしている。本ブログで紹介している本多氏のメソッドを基にすると、たとえば下のような語順が“わかりやすい”といえる。

(1)「何もいないね」と言って思わず訪れた客が通り過ぎてしまうような、同園のニホンノウサギのコーナーはたたずまいだ。

修飾語の原則「長い修飾語は前に、短い修飾語は後に」に従って語順を入れ替えつつ、「こう言って訪れた」と読まれるのを防ぐために「思わず」を「言って」と「訪れた」の間に入れる形をとった。読点を補って「訪れた客が、」を冒頭にする書き方もあったが、読点をなるべく減らしたかった点にも着目してほしい。ただし「ような」と「同園」の間は、前の修飾語が長くなっているため読点で区切りを入れている。また「は」が付いて題目になっている「同園のニホンノウサギのコーナー」と述部である「たたずまいだ」を近づけている(修飾語と被修飾語を直結させている)点も本多氏のメソッドのとおりだ。

しかしリズムの観点では、原文の方が読みやすいと筆者は感じた。作者の意図を読み解きながら、リズムについても考えてみたい。冒頭は「何もないね」の直後に句点で閉じてある。「『何もないね。』と」のように「と」を続けるよりも歯切れがいいからだろう。また冒頭が短く終わっているため、読む勢いがつく。つかみに成功しているといってもいい。

原文が句点で閉じられているのは、強調の意味があるだろう。ダラダラと文が続くより、文を区切る方が“何もない”の概念を強調する効果もある。記事のタイトルにもある「普段は素通りされる」の内容を、実際のお客さんの声を使って端的に表わしている1文だ。

同園のニホンノウサギのコーナーは、訪れた客がこう言って思わず通り過ぎてしまうようなたたずまいだ。

1文目と合わせて一度検証したが、原文の2文目を改めて見てみよう。「同園のニホンノウサギのコーナーは」が文頭にくる。(1)のように書くと物理的な距離ができるところを、題目の「ニホンノウサギのコーナー」と「何もいないね」を近づけて、“何もない”のが「ニホンノウサギのコーナー」であると、直感的に伝える効果もありそうだ。内容的にもスムーズで読みやすいリズムといえるだろう。読点の二大原則「語順が逆の場合は読点をうつ」をここで採用していると推測できる。本来文頭にこない修飾語をあえて前に出し、読点をつけて強調の意味を表わしているのだ。冒頭の2文だけでも、論理を破綻させず、読者の理解まで考えたリズムのいい文章といえるだろう。

それもそのはず、いるのは一匹だけ。日中はじっと木の陰に隠れ、客が帰るころに動き出す。

つづけて原文の3文目をみていこう。「それもそのはず、いるのは一匹だけ」では、情報を最小限に間引いている点に注目したい。「檻の中にいるのは」などと状況を詳しく説明する方法もとれた。けれども、あえて情報を減らし、読点の前後をほぼ同じ文字数で統一している。また「一匹だけである」のように、文末を言い切らずに「だけ」で文を閉じるのも、リズムのためだ。体言止めのようなニュアンスで文を閉じれば、続く文の助走にもなる。

日中はじっと木の陰に隠れ、客が帰るころに動き出す。

最後の一文では、「じっと」に注目したい。実際にじっとしているかどうか、筆者にはわからない。仮にじっとしていなかったとしても、「じっと」がつくるリズムの効果は大きい。音読をするとよくわかるだろう。「っ」が入り一拍ほど休止が入るだけでテンポのよさが生まれている。

あくまでも筆者の意見ではあるものの、ぜひあなたもリズムに着目して文章を考察する練習をしてみてほしい。

■補足:紋切り型(もんきりがた)に注意しよう

原文で一点、注意しておきたいのは「それもそのはず」の表現だ。使い古された慣用句のような表現を紋切り型と呼び、読者に心理的な読みづらさを与える可能性があると別記事で注意喚起をした。今回は例文なのでそのまま使用したが、念のため補足しておく。

読みやすい文章をもっと見てみよう

リズム感を考えながら、文章にどんどん触れていこう。リズムがいいと感じた文章を筆者と編集者が選んで考察してみた。

あえて同じ文体を繰り返す技術

まず筆者から紹介したいのが、伊藤整氏の『火の鳥』(筑摩書房版「新選現代日本文学全集15」)である。

子供の泣き声が耳に入つて目が覚めた。眠りが足りないと思うと、私はすべてのことが厭(いと)わしい。もう眠れそうもないので、起きて鏡の前に坐つてみた。顔の皮膚は荒れていて、クリイムで拭つても汚れが残つている。朝のうち風呂へ入るといいのだが、今の姉との生活では、私には言い出せない。昨夜姉は風呂を沸かしてくれたのだが、私が帰つた時には大分冷えていた。

冒頭からいわゆる主語を抜き、題目になる「私は」を潜在化させている。もし入れるとしたら「入つて」の後だろうが、入れない方が見てのとおりコンパクトだ。

つづいて2文目、読点まで主語のない構造も冒頭に同じく無駄がない。「私は」の位置も秀逸だ。「厭わしい」の前に入れるより、ずっとリズムがいい。おそらく「私の場合は」と強調する意味もあって、あえて述部から距離をとったのだろう。強調の場合は「私は、」と読点を打ちたいところだが、短い1文に二つもの読点を持ち出さない読者への配慮である。

後半「朝のうち……」以降も、「私には」の位置が的確である。「私は、今の姉との生活があるので言い出せない」と、筆者なら書いてしまう。読みやすさは言うまでもなく原文の勝ちだ。

後半で特筆すべきは、意図的に「だが」を繰り返す文体である。「朝のうち風呂へ入るといいのだが」と「昨夜姉は風呂を沸かしてくれたのだが」とで、韻を踏むように文体を似せている。また、一つの話題「風呂」を取り上げて、“私にとっての厭わしさ”を二つも語っているのはさすがである。「お風呂一つをとってみても」のような紋切り型に頼らない、文体の工夫である。

冒頭から一貫して過酷な状況を綴りながら、さらに文体の工夫によって厭わしい画が浮かびやすくなる。後半ほど顕著ではないが、似た文体を前半も繰り返しているのが読み取れる。前半より顕著に同じ文体を後半で繰り返すのは、積み重なるストレスの増加をも表現しているのかもしれない。

「同じ言葉の繰り返し避けよう」と別記事に書いたとおり、論理的かつわかりやすい文章を書く上では、素人が手を出すとデメリットになりかねないので注意しよう。

結論から具体〜短文から長文〜

筆者からもう一つ。海音寺潮五郎氏の『天と地と』(朝日新聞社版「海音寺潮五郎全集5」)は、シンプルで無駄がない。結論具体の順序で論理的。かつリズム感も読んでいて心地がいい。

起きて洗面するとすぐ、弓をたずさえてあずち(、、、)へ行った。北国の正月下旬は、暦の上だけの春だ。石のようにかたい根雪があり、木々の芽はかたく閉じ、見る限りのものがまだきびしい冬の姿だ。

冒頭の構造は無駄がなく、すぐに文章に入っていける感覚がある。次に結論だ。暦の上では春だが、依然として現実は冬であるのを短く言い切る。直後、具体的かつ丁寧に北国の冬を描写している。無駄な主語を省いているからこそ、読みやすくなっている点も参考にしたい。

特殊な書き出し〜勢いをつける〜

つづいて編集者からも文豪の名文でオススメしたい。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
谷川の岸に小さな学校がありました。

一文目は重要である。一文目でダラダラと講釈を垂れると、もう後を読む気が失せる。しかもWebの原稿における一文目は「リード文」と呼ばれ、本題に入る前の前置き(つまり意味の無い文章)として最初から相手にされていないケースも珍しくない。だから、優秀な書き手は一文目に徹底的にこだわる。名作は、読者の心をぐっとつかむ名文から始まっているのだ。

編集者が特に印象に残っているのが、宮沢賢治氏の『風の又三郎』(初版出版社不明)だ。正直、意味のある文章ではない。しかし音読してみると、小気味がいいリズムを刻んでいるのがわかる。タイトルや後から続く文から、風の音を「どっどど どどうど」などと表現しているのだろう。それも後の解釈では何とでもいえるが、やはり「どっどど どどうど」から始める独創性と勇気は他にない。『これ、なに?』。そう思わせた時点で、読者はあとの文も読んでくれる。これぐらい攻めた書き出しをできる書き手になりたいものだ。

同じ形の反復

編集者からもう一つ、「同じ形の反復」によって読者を引きつけられる点を説明したい。

あなたが私にくれたもの キリンが逆立ちしたピアス
あなたが私にくれたもの フラッグチェックのハンチング
あなたが私にくれたもの ユニオンジャックのランニング
あなたが私にくれたもの 丸いレンズのサングラス
あなたが私にくれたもの オレンジ色のハイヒール
あなたが私にくれたもの 白い真珠のネックレス
あなたが私にくれたもの 緑色した細い傘
あなたが私にくれたもの シャガールみたいな青い夜
引用:『プレゼント』(JITTERIN’JINN)

上は1991年に発売された曲の歌詞なので、特殊な例かもしれない。聴かせる面が曲は大きいため、リズム感が重要である点はほかの名文とも違う点だろう。そのため単純な比較はできないが、“同じ形の反復”を示すのに好例だと考えて採用した。
文章を書くときに「繰り返し」に注意するように筆者の山野からも説明があった。しかしそれは意図せず繰り返してしまう場合であって、意図的に使えば心地のよいリズムを醸し出す。

いうまでもないが、「あなたが私にくれたもの」を何度も繰り返している点は粗末に見えるかもしれない。だが続く”プレゼント”の名称はすべて12〜13音で曲のリズムにマッチし、聞きやすさを生んでいる。こうなると「あなたが私にくれたもの」の繰り返すによって、続く”プレゼント”の内容に意識がいくような構造になっている。

違う文章でいえば「一つ目は〇〇。二つ目は〇〇。三つ目は〇〇」といった文章も、同じ原理だ。つまり構造や表現を同じにして(近づけて)、列挙される要素の関係性を明確にする・強調する作用が働いている。ほかのも「今日は〇〇、明日は〇〇、明後日は〇〇……」や「〇〇は嫌い。〇〇〇も嫌い。〇〇は好き」のような書き方でも同様だ。つまり本来はタブーとされる繰り返しも、意図的に使えばそこだけ際だって読者に違った印象を想起注せられるのである。

日本語の作文技術が読みやすさを変える

リズムと文体まで考慮しながら文章を書くのは高度な技術である。しかし名作と呼ばれる文章を丁寧に読んでみると、本多氏が提唱する基本的な作文技術のとおりになっているのが発見できた。

『日本語の作文技術』が出版される前の作品があるのはもちろん、多くの作家は本多氏のメソッドを基に文章を書いたわけではない。それでも本多氏のメソッドに当てはめて説明ができる点から、わかりやすく・読みやすい名作は文章の基本をしっかり押さえて書かれたものばかりだとわかった。

本ブログの記事は、Webライティング向けを念頭にしているが、説明している内容が小説やコラムなどほかの文章作成でも役立ちそうだと確信している。『日本語の作文技術』を基にした記事はこれで最後だが、ほかの文献を参考に今後も文章の研究を続けていく。

執筆:山野隼
編集:田中利知