読みづらい文章の特徴と改善策〜繰り返し・過去形・敬語〜

文章を読みやすくするためには、読みづらい文章表現を避けるのが望ましい。「繰り返し」「過去形」「敬語」は読みづらさの原因の一例だ。『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)を参考にしながら、読みづらい表現の概要と改善策を確認していこう。
同じ言葉の「繰り返し」は避ける
同じ言葉を繰り返し使うと、文章が読みづらくなる。繰り返しによって読むときのリズムが一定(単調)になるのが気になり、文章の中身(意味)に意識がいかなくなるからだ。注意したい繰り返しの例を以下にまとめてみた。一緒に確認していこう。
文末の語尾の繰り返し
文末の語尾は、同じ表現が続かない方が望ましい。たとえば最初の文を「です」で終わった場合、「です」以外の「ます」などで次の文は終わるのがよいのだ。これは“です・ます調”だけでなく、“だ・である調”で書くときも同様である。それぞれ解説をまとめてみたのでチェックしてみてほしい。
です・ます調
“です・ます調”の文章は、言い換えのバリエーションが少なく、繰り返しが発生しやすい。「です」が続く例文を下に用意した。
昨年「秋吉台」にオープンしたのが、グランピング施設です。エリアは広く、サービスも充実していて、家族のお出かけにオススメです。さらに、絶景を眺めながらバーベキューもできるのです。
繰り返しの典型例だ。「です」が3回続く上の文をぜひ音読してみてほしい。声に出して読んだときの気持ち悪さを体感できるはずだ。そのため見直し(推敲)の段階での音読が広く勧められている。校正ソフトでの読み上げによってネイビープロジェクトでは同様の対策を講じている。「音声読み上げ」はWordにも搭載されているため、一度試してみてもいいだろう。
だ・である調
“だ・である調”を使う文章は、“です・ます調”よりは語尾の選択肢が増える。そのため語尾の繰り返しを防ぎやすい。本記事も、“だ・である調”を基本にしているのは、同様の理由からだ。下に、本記事の一部を「である」を繰り返す形で書き換えてみた。
(例) 文末の語尾は、同じ表現が続かない方が望ましいのである。たとえば最初の文を「です」で終わった場合、「です」以外の「ます」などで次の文は終わるのがよいのである。これは“です・ます調”だけでなく、“だ・である調”で書くときも同様である。
下にある(元)の文と比較してみよう。
(元) 文末の語尾は、同じ表現が続かない方が望ましい。たとえば最初の文を「です」で終わった場合、「です」以外の「ます」などで次の文は終わるのがよいのだ。これは“です・ます調”だけでなく、“だ・である調”で書くときも同様である。
3文とも違う語尾なので、(元)の方が(例)よりもリズムができて単調さも生まれにくい。こちらも音読して体感してみるのをオススメする。
語尾・文末の補足
ほかにも気をつけたい文末表現がいくつかある。
■「ように思われる」
『日本語の作文技術』で、「典型的な「社説用語」のひとつといえる」と紹介され、「事の本質をオブラートに包むための技法」だと著者の本多氏が批判をしているのが「ように思われる」だ。責任回避をするような言い回しだと筆者も感じる。繰り返してしまう(多用したくなる)気持ちはわかるが、書くときには注意したい。
■「のだ・のである・のです」
「のだ・のである・のです」も繰り返し(多用し)やすい語尾だ。繰り返し(や多用)を防ぐには、「のだ・のである・のです」の用法を理解しておくのが役立つ。
用法は以下の二つである。一つ目は、前の文を受けて説明する使い方だ。文頭に「なぜならば」をつけて自然になる場合が該当すると考えていいだろう。
山野は驚いて立ち止まった。(なぜならば)冬の夜に半袖で歩いている人をみたのだ。
もう一つは、強調や驚きを表わす役割だ。「のだ・のである・のです」を繰り返していると、強調の意味を本当に伝えたい場面で効果が薄れてしまうのだ(・・)。左の使い方がまさに強調の「のだ」である。驚きは以下のような使い方だ。
電気代高騰で誰もが頭を抱える中、電気代を一切かけない画期的な方法で節約を成功させている人がいるのです。
以上の用法を理解した上で意識しながら使えると、「のだ・のである・のです」の繰り返し(や多用)をせずに文章を書けるようになるだろう。
接続詞の繰り返し
接続詞の繰り返しにも注意が必要だ。実は筆者にも、「しかし」を繰り返し使う癖があった。「また……」を文頭に置いたかと思えば、続く文も「また……」で始めてしまう人がいるだろう。口癖のように、書いているときには気づきにくい。そのため見直しのときに、紙に印刷してマーカーで、PCの場合はWordのハイライト機能で接続詞だけを際立たせてみるのをオススメする。もちろん校正ツールで、接続詞だけピックアップできる機能に頼ってもよいだろう。接続詞だけに着目すると、自分の癖がよくわかる。
接続詞の繰り返しを改善するのは簡単で、役割は同じだが表現が違う接続詞に書き換えればいいだけだ。筆者のように「しかし」を頻繁に使いがちな人ならば、「けれども」「だが」「ところが」「が」などを混用すればいい。
あるいは接続詞自体の使い過ぎを疑うのも重要だ。なくても意味が通じる場合は思い切って接続詞を削るのをオススメする。必要な接続詞だけになれば、冗長さがなくなりよりわかりやすい文章になるからだ。
助詞の繰り返し
助詞の繰り返しにも注意できると文章の読みづらさを改善できる。
今日は天気が悪い。撮影は明日にした方がよさそうだ。カメラマンさんには早めに連絡しておこう。
上の例文では、「今日は……。撮影は……。カメラマンさんには……」と係助詞の「は」が連続している。別記事で紹介したとおり、格助詞「が・の・に・を」を兼務できるため、係助詞「は」は繰り返しが簡単にできてしまうのだ。改善するには、「は」を使っているところを格助詞(が・の・に・を)で書き換えてみるのがいいだろう。そして明確な意図をもって「は」を使えれば、読みづらさを解消できるだけでなく、文章がわかりやすくなる(「は」の役割については別記事参照)。
このあとは渋谷に行って友達と合流してカフェに入ってお茶をして帰る予定だ。
上の例文は接続助詞の「て」が繰り返し使われている。順接・並列で話を展開していく場合、つまり話の流れが変わらないときは上のような表現をしてしまう可能性が高い。改善策はさまざまだ。途中で切って単文にしたり、違う表現に変えて繰り返しを防いだりすればいい。たとえば下のような書き換えだ。
このあと渋谷に行く。友達と合流したのち、カフェでお茶をしてから帰る予定だ。
最初(接続詞)と最後(文末の語尾)は比較的簡単に気づけるのだが、途中の繰り返しにも配慮しながら執筆するようにしていきたい。
過去形の注意点
「〜した」や「〜だった」などの過去形は、使い方に注意が必要だ。実際の状況(事実)を正確に書き、“筆者が取材した当時はそうだった”という「筆者の過去」を感じさせない書き方が求められる。取材やインタビューを基に原稿を書く仕事では、過去形がマイナスに作用する場合があるため特に注意が必要だ。それぞれ具体的に解説してみよう。
文章で使う「過去形」とは
過去形とは、過去に起きた出来事を「〜した」のように表わし、時間軸を現在と区別する書き方だ。まず文章を書く上で使っている過去形を例文でおさらいしておこう。
過去形の例文
(a)1年前の今日、大きな地震があった。
(b)今日は、さっきまで雨が降っていた。
(c)ライターの仕事は近年一気に多様化した。
(d)新宿の街は再開発の真っ最中だった。
一つずつ確認していこう。
(a)1年前の今日、大きな地震があった。
1年前の過去の事実を「あった」で表わす単純な過去形である。
(b)今日は、さっきまで雨が降っていた。
ついさっき止んだ雨の様子を「降っていた」で伝える過去形だ。1分前でも、今と異なる様子を表わす正確な過去形といえる。
(c)ライターの仕事は近年一気に多様化した。
(c)は二つの解釈ができる。「過去に多様化が始まり、現在も同じ状態が続いている」と「過去にライターの仕事が多様化したものの、今は多様化の流れがない」と読み取れるだろう。上の表現をする場合、おそらく大半の人が前者の意味で書くはずだ。しかし過去形にしたばかりに、後者の意味まで含蓄し誤読の可能性が出てしまった。前者の意味で正確に伝えたい場合は、「多様化している」と進行形にすれば、「過去に始まった多様化が今も続いている」と判断しやすい。あるいは「多様化してきた」としても過去と地続きのイメージが伝わりやすいだろう。以上のような時系列がわかりにくい表現には注意したい。
(d)新宿の街は再開発の真っ最中だった。
新宿の特集記事で上のような文章があった場合、新宿が「今も再開発中」なのか「もう再開発が終わっているのか」がわからないはずだ。上のような書き方は、書き手の真面目さに起因する。たしかに書き手が取材をしたときには再開発の工事現場でも目撃したのだろう。しかし原稿を書くときに、目撃した時点はすでに過去になっている。そのため「(私が取材した時点では)新宿は再開発の真っ最中だった」のつもりで過去形にしてしまうのだ。しかし書き手が執筆を終えた時点でも新宿の街で再開発が続いている(2046年頃まで再開発は続くようだ)。そのため「新宿は再開発の真っ最中だ」とする方がいい。以上のように、書き手の時間軸で考えてしまい実際とは違う状況のように読み取れる過去形は避けていきたい。
過去形の注意点
過去形を使う上で、注意したいポイントは下の2点である。
(Ⅰ)時系列にあった表現か。 (Ⅱ)「筆者の過去」によって実際の状況(事実)を歪めていないか。
(Ⅰ)はいうまでもなく、過去の話のときだけ過去形を使うようにすることを指す。違う言い方をすれば、現在や未来の話をするときに過去形は避けべきとしてもいいだろう。
(Ⅱ)は、先ほどの例文の(d)で注意喚起したとおり誤解を生む可能性がある点と、「文章の鮮度が落ちる」デメリットまであると本多氏は語る。読者によっては、情報を古く感じてしまいかねないのだ。例文の(d)を読んでみると、『これ、昔の話なのか?』と不安になるのがイメージできるのではないだろうか。
過去形の使い方
過去形を正確に使った表現も身に付けていこう。不適切な過去形を避けて、情報の鮮度を維持するには現在形で書くのがおすすめだ。上手に使えれば、読者自身が原稿を組み立てているかのような読後感を演出できる。本当に過去の話であったとしても、状況が目の前で進行しているかのように書けるのだ。しかも過去形よりも語尾の選択肢が豊富で、繰り返しを避けやすいメリットも現在形にはある。現在形を巧みに使ったルポルタージュとして、本多氏が絶賛している例を紹介しよう。
わたしは地図の上でその名をさがす。ある。ほとんど全部ある。しかし、みんな歴然たるハザラジャートの地名だ。つまり、ハザーラ族の居住地だ。この人は、ハザーラとモゴールとを混同しているのだ。わたしたちはがっかりする。(中略)
カンダハールを出て三日目の昼すぎ、わたしたちはカーブルに着き、江商商会のバンガローにやっかいになる。加古藤さん、内田さんという二人の社員には、徹底的にお世話になった。ここで、ペシャワール方面から越えてくるはずの、岩村、岡崎両氏の到着をまつ。
(梅棹忠夫『モゴール族探検記』)
過去形が目につかないのはもちろん、不思議と旅のワンシーンに入り込んだかのような感覚にすらなる。少なくとも著者がデスクでキーボードをたたいている画は浮かんでこない。それどころか、事実の過去が現在形に錯覚されるほどの迫力さえ筆者は感じた。
過去の話を現在形で書くのは、「安易にまねると失敗することもある」と本多氏が語るほど高度な技術だ。上の記事に近いものを書こうとしても、もちろん一朝一夕ではどうにもならない。けれども不必要な過去形を排除しながら、まず書いてみるのをオススメする。筆者も勉強している身で、文のうまさ云々より、読みづらい文章の改善を実感し始めているところだ。
間違った敬語
文章でも・声を出した会話でも、正確な敬語を使える人は意外と少ない。たとえば「よかったですか?」という質問形は間違った敬語といわれる。「よかったですか?」のような敬語は、文法的に間違ったまま慣用化したケースだ。日常会話やビジネスの場で頻繁に・反射的に使ってしまう敬語が誤っていないかを一緒に振り返ってみよう。
文章で使う「敬語」とは
そもそも敬語とは、話す相手や話題に上がった人物を敬う目的で使う言葉だ。今回は敬語の種類までは掘り下げないが、文章で使う頻度が高い敬語についてまとめてみる(なお冗長さの原因になりかねないため本記事では敬語表現を省略している)。
助動詞「です」の接続
丁寧語で使う「です」は、間違いやすい敬語の代表例である。そもそも助動詞としての「です」を正しく把握すれば、間違いは回避できるはずだ。助動詞「です」の接続は、下の3種類に限られる。
(1)体言(名詞や数詞など)に対して。 (2)「の」などの一部の助詞に対して。 (3)形容動詞の語幹や助動詞「そうだ・ようだ」の語幹に対して。
上のルールは義務教育の範疇内である。しかし覚えている人は少ないかもしれない。たとえば(3)は、下のような例文が適切な接続だ。ヒゲかっこ(“”)で囲った部分の文法を【】で説明している。
“きれいです”。 【きれい(形容動詞の語幹)+です】
(これは誰のものですか?) 私“のです”。 【の(格助詞)+です】
お風呂に入る“ようです”。 【よう(助動詞の語幹)+です】
【例文】敬語の間違い
「です」は、用言(動詞・形容詞・形容動詞など)の後に、連用形・終止形・連体形では接続しない。下の例が間違った使い方である(間違った使い方なので変な日本語があるのは了承してほしい)。
あぶないです。【あぶない(形容詞)+です(助動詞の終止形)】
あぶないですので……【あぶない(形容詞)+です(助動詞の連体形)】
あやうくでした。【あやうい(形容詞)+でし(助動詞の連用形)+た(過去の助動詞)】
大き過ぎるであります。【大き過ぎる(広義の動詞)+であります(助動詞「だ」と補助動詞「ある」の丁寧語)】
三つ目は、「です」ではなく助動詞「だ」の敬語表現だ。接続のルールは「です」と同じなので、間違った使い方である。最近では、「うれしいです」や「よかったです」も敬語として当たり前に使われる。ライター界隈の議論であるのは「多いです」だろう(出版社の編集者が嫌う書き方だといわれる)。これらは本来の文法では間違いに分類されるのだ。
しかし上のような敬語は、文法の統制が追いつかないレベルですでに使われているのが現実だ(“「です」や「ます」は敬語の一種「丁寧語」”と学校で教えられているのが原因ではないかと編集者は考えている)。くわえて『日本語の作文技術』でも下記のように紹介されている。
「戦後の国語審議会が提出した『これからの敬語』では、形容詞の原形にデスをつけるこのような言い方(「小さいです」など)も許容範囲に入れている(金田一春彦『新日本語論』一四〇ページ)」
詳しく調べてみると、“戦後の国語審議会”は1952(昭和27)年に開催されたものらしい。つまり従来は間違いであったが、敬語として(少なくとも70年以上前からすでに)許容されてきたといえるのだ。
重要なのは、人によって考え方が異なる点だと理解することだ。依頼主や編集者から指摘がある場合もあるだろう。「これは敬語だ!」と相手を論破しにかかるのではなく、「解釈が違うのだな」と歩み寄りながら原稿制作を進めていくようにしたい。
読みづらい文章を読みやすく言い換えよう
文章が読みづらくなる原因を三つ勉強した。繰り返し表現は文中のさまざまなところに出てくるため、見直す目を養いたい。過去形は、誤解を招くリスクがあり、文章の鮮度まで落ちる危険性を指摘した。そして日常的な会話で染み付いた誤った敬語にも推敲の目を向けてほしい。心理的に読みづらくなる文章は別記事でも紹介しているので、本記事とあわせて繰り返し読んでものにしていきたい。
執筆:山野隼
編集:田中利知
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