読みづらい文章の特徴と改善策〜体言止め・紋切り型〜

文章を読みやすくする上で、読みづらさを排除するのは重要だ。「読みづらい文章」とは、読むにたえがたい、感情的なつらさを含む文章だと定義できる。漢字が多かったり字が小さかったりして読む作業が物理的に困難な「読みにくい文章」というわけではない。読みづらい文章や表現は世の中に多く存在する。中でも今回は、読みづらい表現といわれる「体言止め」と「紋切り型」について情報をまとめてみた。改善策もあわせて書いてあるので、一緒に学んでいこう。
体言止めの使い方と注意点
体言止めとは、名詞や代名詞で文末を終わらせる文章表現だ。単調な文章表現を回避するためなど、用途がいくつか語られている。学校の授業でも取り扱われ何の気なしに使っている人もいるだろう。しかし『日本語の作文技術』(本多勝一,朝日新聞出版)に沿って、体言止めは基本的に使用しないようにネイビープロジェクトではしている。使う場合の注意点も含めて、適切な体言止めを学んでいこう。
体言止めの例文
体言止めを用いた文章を具体的にみてみよう。
(1)単調な文章を回避するために有効なのが「体言止め」。正しく使い分ければ、読み手にも好印象です。
(2)単調な文章を回避するために有効なのが「体言止め」です。正しく使い分ければ、読み手にも好印象です。
(1)の文章が、体言止めを使った例だ。(1)と比較すると、(2)は二つある文末がいずれも「です」で終わっているので、単調な印象を読者に与える。(1)の方は、スムーズにリズムよく読めると感じる人も少なくないだろう。筆者も、同じ文末はなるべく使わない、使っても2回まで(3回連続は要修正)と心がけている。
体言止めの使い方〜メリット・デメリット〜
体言止めのメリットとデメリットを整理してみた。メリットは大きく三つである(確実ではなく、“期待できる”程度の話ではあるが)。使い方とあわせて確認してみよう。
体言止めのメリット
1.単調な文章表現を回避できる 2.文字数の制限がある書き物で、文字数を節約できる 3.言葉を強調でき余韻も与えられる
1.単調な文章を回避できる
語尾に「です」や「ます」を用いた文章などで使われ、説明調を緩和する効果が期待できる。たとえば下のような使い方である。
(a)一見難しそうですが、グッズを使えばとても簡単です。作業がスムーズになります。
(b)一見難しそうですが、グッズを使えばとても簡単。作業がスムーズになります。
(a)も(b)も文章としては問題ない。難なく読めるはずだ。しかし(b)の方が、読んでいてリズムがよく感じないだろうか。また、「です」や「ます」が3回以上続く文章は、リズムが単調な印象を生む。途中で体言止めを挟めば、単調さを軽減できる効果が期待できる。
2.文字数の制限がある書き物で、文字数を節約できる
二つ目のメリットは、文末の動詞を省略するので、文字数を減らせる効果だ。1.の例文(a)と(b)の文字数を比較してもらえばわかりやすい。(b)の方が2文字少なく文を閉じている。納品物の文字数制限から、残り1〜2文字を削るために、体言止めに頼った経験が筆者にもある。
3.言葉を強調でき、余韻も与えられる
三つ目のメリットは、コピーライティングやセールスライティングなどで使われがちな体言止めだ。たとえば以下のような書き方である。
待望の新店舗が、2023年に満を辞して誕生。
「誕生だ」や「誕生です」などの終止形で言い切るよりも、感覚的に読者にインパクトを与え、印象に残りやすくする効果が期待できる。ダッシュ(―)の効果に近く、読者の想像力を掻き立てやすい。記事のタイトル付けでクリック誘引を狙う場合に、「誕生!!」と文章記号をつけて誇張する書き手もいるだろう。
この手法は、書き方よりも“見せ方”に意識を向けているともいえる。広告のコピーライティングで主に使われる方法だ。もちろんブログ記事などでも、強調や余韻の目的で先述のとおりタイトルや見出しに使う場面も多い。
三つのメリットで紹介した使い分けの中でも、使わざるを得ない2.のようなケースに限定して体言止めは取り入れたい。文のリズムや強調を考慮して使う1.や3.のようなケースは、あくまでも読みやすくなる“場合がある”だけだからだ。読みづらさも読みやすさも読者の主観に依存してしまうので、読みづらくなるリスクがある以上、安易に使わないのが得策である。
体言止めのデメリット
1.見る人によっては感情的な読みづらさを与える 2.意味や状態の説明があいまいになる
1.見る人によっては感情的な読みづらさを与える
最初のデメリットは、体言止めを多用するとわかりやすい。例文で確認しよう。
一見難しそうですが、グッズを使えばとても簡単。作業がスムーズ。大変なお部屋のお掃除もすべて解決。
上のように3回も体言止めを使うと、文末が目立ってしまう。「です」や「ます」の場合も同様で、2〜3回と繰り返されれば、内容よりも文末や文調に意識が向く(上の例文は、通販番組に出演するジェスチャーの大きいアナウンサーが話している様を個人的には連想した)。読者の集中力を欠き、読みづらさにつながりかねない。
『日本語の作文技術』で本多氏は、「第八章 無神経な文章」で体言止めを取り上げ、項目名を「体言止めの下品さ」としている。そもそも体言止めに本多氏は否定的で、「軽佻浮薄な印象を与える」表現といっているほどだ。
2.意味や状態の説明があいまいになる
動詞の文脈で使われる体言止めは、複数の意味を読み手に連想させてしまう。先のメリットで使用した例文を見直してみよう。
待望の新店舗が、2023年に満を辞して誕生。
「誕生」を体言止めしているので、すでに新施設が「誕生した」のか、これから「誕生する予定」なのか、はたまた「まさに今誕生している最中」なのかがわからない。仮に上の例文がプレスリリースの一部だとすれば、タイトル・日付・前後の文脈から「誕生」の正確な状態(=「誕生」する予定)が読者は判断できるだろう。しかし前後のヒントが必要になる点では、明快ではなく、あいまいな文章といわざるをえない。つまり、読みづらくなる場合があるので、使っても問題ないか慎重な検討が求められる。
体言止めの注意点
最後に、本多氏が指摘するほかの注意点も把握しておこう。
直接話法で使わず、間接話法で使用する。
体言止めは、間接話法でのみ使える(直接話法では使わない)表現と考えていいだろう。直接話法とは、文章中でカギカッコ(「」)やヒゲカッコ(“”)を用いて、人から聞いた言葉や会話を“ほぼ”そのまま記載する文章の形式である。一方の間接話法は、話の伝達であり、書き手が整理して伝え直す形式だ。つまり直接話法で体現止めを使うならば、体言止めが使われた発言を“ほぼ”そのまま書き起こしたことになる。たとえば下のような状態だ。
彼は体言止めについてこう話した。「体言止めは注意が必要。文章が単調にならないために、うまく使い分けたいね」。
台本を読むような場合でない限り、日常会話で体言止めはあまり使用されない。友人や家族との会話を文字起こししてみるとよくわかる。もちろん、「会話で話した一言一句をそのまま書く」のが直接話法の絶対的な原則ではない。しかし会話表現として最低限の自然さは担保した方が望ましいだろう(仕事の原稿はとくに)。カギカッコを見れば、『会話かな?』と想像して読者は読み進める。にもかかわらず体言止めがくれば、『あれ?会話だよね?』と違和感を抱く可能性があるのだ。直接話法で会話を書く場合に注意していきたい。
「紋切り型(もんきりがた)」は避けよう
「紋切り型」は、文章表現の決まりきった一つの型で、新鮮味のないものを指して使われる言葉だ。常套句(じょうとうく)とも言い換えられ、「唇を噛んだ」などが例として挙げられる。悪く言えば“手垢のついた古い表現”であり、読みづらさを助長してしまう言葉だ。紋切り型を避けたい一番の理由は、使いやすさに甘んじて本質を正確に伝えられなくなるからである。
紋切り型とは
紋切り型とは、家紋や紋様などの紋を切り抜く型に由来する言葉だ(「紋切型」や「紋切形」と書く場合もあるが、本記事では「紋切り型」で統一する)。もともとは「型どおり」の意味だったのが、「型にはまったつまらないこと・融通が利かないこと・ありきたりなこと」などを次第に表すようになった。「紋切り型のあいさつ」や「紋切り型の答弁」などの使い方を一般的にする。紋切り型の明快な区別や定義があるわけではなく、常套句・慣用句・四字熟語など、使い古された表現や新鮮味がない表現は対象と考えられる。
紋切り型の文章表現の例
紋切り型と思われる一部の例を下に並べてみた。使っている表現がないか見直してみよう。
・走馬灯のように
・嬉しい悲鳴
・ぬけるように白い肌
・足が棒になる
・銀世界
・肩を落とす
・胸をなで下ろす
・目頭が熱くなる
「胸をなで下ろす」や「足が棒になる」などは、現実を正確に描写できていないのが冷静に考えるとよくわかる。もちろん比喩なので、屁理屈だと指摘する人もいるだろう。しかし、数十年や数百年も前に生まれた言葉もあるだろうから、何を喩えているのかが現代は伝わらない表現があるのも事実である。
筆者の体験談をひとつ。以前「杓子定規」を大学生に対して使ったとき、“ぽかん”とされた経験がある。「杓子定規」ですら、世代によってはまったくなじみがない点にまったく配慮ができていなかった。皮肉にも杓子定規は「融通が利かない」の意味で、紋切り型と同じ使い方だ。上の「ぽかん」も、本記事の読者には紋切り型と指摘されるだろう。自然と使ってしまい、気づきにくいのが紋切り型の注意すべき点だ。
文章構成が紋切り型になっている例文
単語レベルだけでなく、文章全体が紋切り型といえる場合もある。例文を紹介しよう。
株本由太。33歳。パジャマの上着をズボンにすっぽりインさせるこの男、只者ではない。一見、自宅警備隊のような外見だが、ひとたびデスクに着けば、マルチディスプレイを前に顔色を変える。キーボードに触れると、目を見張るほどのブラインドタッチ。極め付きに、リアルタイムで株式トレードをしながらYouTubeでその様を実況するときた。そんじょそこらの自宅警備隊じゃないのは言わずもがな。1日100万円を稼ぐ株のトレーダーであり、同時にYouTuberでもある“マルチフリーランス”なのだ。コンプライアンスの牢獄から脱獄して、こんな自由な生活をしてみたいと思うサラリーマンの今日この頃である。
上は、筆者が過去に書いた文章を例文用にさらに改悪したものだ。ひどい文章であるのはいうまでもない。冒頭にある「株本由太。33歳。……只者ではない。」のような助詞を省いた書き出し方は、1965年頃からある古びた表現だと『日本語の作文技術』で紹介されている。TVの人物紹介などで使われがちであり、無意識に使っている人も多そうだ。「そんじょそこらの」「言わずもがな」「今日この頃」など、続く文章にも紋切り型ばかりだ。「極め付きに」のような煽り表現も同様である。以上のように、単語レベルだけでなく、文章全体が紋切り型にならないように注意したい。
紋切り型を言い換える
紋切り型を使ったケースを振り返ってみると、新しい慣用句を覚えて間もない時期だった。ライターや表現者として、“ウィットに富んでいる”と思われたい気持ちが前に出て、読む側へのケアができていなかったのだ。
『日本語の作文技術』の「第八章 無神経な文章」で数ページにわたり紋切り型の説明を本多氏は行っている。書き手が使いたい表現は、読者にとっては無神経と受け取られかねないと“警鐘を鳴らしている”。文章を書き終えた後に、校正や校閲の段階で紋切り型は意識して修正するのがいいだろう。
なお『“ウィットに富んだ”や“警鐘を鳴らしている”は紋切り型だろうな』と筆者も書きながら自戒した。今回は振り返り方の紹介としてそのまま使っている。言い換えるならば、「ウィットに富んだ」は「上級者」、「警鐘を鳴らす」は「注意喚起」とすれば伝わりやすいかもしれない。読み手の気持ちになって、自分の言葉に書き変えて、伝えたい内容を表現していきたい。
筆者だけが盛り上がっていないか・笑っていないか警戒する
筆者だけが盛り上がっている・笑っている文章は、読みづらさを生んでしまう。読者の興味を引くために“おもしろく”書こうとしただけに、悲しい結果だ。『日本語の作文技術』の「第八章 無神経な文章」の項目で、「自分が笑ってはいけない」という解説を数ページにわたって本多氏も展開している。書き手自身が盛り上がって・笑ってしまい、読みづらくなる例を下に挙げた。
※本項の内容は、仕事の原稿や論文などで主に懸念したい点だ。SNSや個人ブログなどでは気にし過ぎなくてもかまわない。個人の発信は、自身が満足するように書くのが魅力につながる場合もある。
オノマトペ(擬声語)
「サッ」と走り去った。
「ズラーっ」と並んだ自転車。
「ジローっ」と見つめている。
オノマトペのように、自然現象の音を真似て作った言葉は読みづらい。正確な描写をせずに、現実の情景と乖離しがちな表現である。
「美しい」「おかしい」「おいしい」などの形容詞をそのまま使う
2019年末に行われた『M-1グランプリ』で、ニューヨークの漫才を見たダウンタウン・松本人志氏が「ツッコミの人が笑いながら楽しんでる感じがそんなに好きじゃない」と酷評したのを覚えている人もいるのではないだろうか。同様の注意が文章においてもいえる(と編集者は考えている)。『日本語の作文技術』で、一流の落語家について語っている説明から本多氏も同様の意見を持っていたと推測できる。
……「おかしい」場面で、つまり聴き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずる。
おもしろいやおかしいと判断するのは受け手であって、伝え手の感情を強いてはならない。美しい風景も「美しい」と形容すれば、数ある“美しい風景”の中に埋もれて均一化されてしまう。例示したお笑いの場合、読者が笑うのを邪魔する要因に伝え手(芸人)自らがなってはダメという教訓が伺える。
文章を改善するには、自分の言葉をしっかり使うことが重要だ。たとえば「ズラーっと並んだ自転車」を書き直すなら下のような一例になる。
幅10センチメートルにも満たない間隔で敷き詰められた自転車は、30台が上限の駐輪場に40台近く停まっていた。
状況を連想しやすくなっただろう。どのように美しく、どのようにおもしろいのかを自分の言葉で正確に描写するのが大切なのだ。
状況を読み手が連想しにくい
『日本語の作文技術』で引用されている野間宏氏の言葉をここでも紹介しよう。読みやすい文章の本質をついた言葉で、筆者も大変感銘を受けた。
文章というものは、このように自分の言葉をもって対象にせまり、対象を捉えるのであるが、それが出来上がったときには、むしろ文章の方は消え、対象の方がそこにはっきりと浮かび上がってくるというようにならなければいけないのである。対象の特徴そのものが、その特徴のふくんでいる力によって人に迫ってくるようになれば、そのとき、その文章はすぐれた文章といえるのである。
(『文章入門』[青木書店])
文章の役割を的確に表現し、「自分が笑ってはいけない」理由も本質的に感じられる鋭い指摘である。「美しい」や「おもしろい」だけでは読み手は状況を連想しにくく、それが読みづらさにつながっているのだ。何度も繰り返すように、自分の言葉で書き直し、無神経な点がないかを吟味しながら原稿に向き合っていきたい。
書き手が笑っている文の例
株本由太。33歳。パジャマの上着をズボンにすっぽりインさせるこの男、只者ではない。一見、自宅警備隊のような外見だが、ひとたびデスクに着けば、マルチディスプレイを前に顔色を変える。キーボードに触れると、目を見張るほどのブラインドタッチ。極め付きに、リアルタイムで株式トレードをしながらSNSでその様を実況するときた。そんじょそこらの自宅警備隊じゃないのは言わずもがな。1日100万円を稼ぐ株のトレーダーであり、同時にYouTuberでもある“マルチフリーランス”なのだ。コンプラの牢獄から脱獄して、こんな自由な生活をしてみたいと思うサラリーマンの今日この頃である。
先の紋切り型でも紹介した上の例文は、文自体が笑っていて、読者を置き去りにしている文章の典型でもある。自戒の念を込めて、解釈(懺悔)をしてみたい。
冒頭から、「インさせる」などの口語的な表現に軽率さがある。パジャマやズボンを使って外見を説明した直後に、また「一見、自宅警備隊のような外見」と重ねてしまった。目的は後に続く内容とギャップを際立たせるためだろう。同じ内容の言い換えなので、くどい印象は否めない上に、「自宅警備隊」などは執筆当時の流行りに乗った安直な言い回しである。紋切り型どころか、すでに死語になっているかもしれない。「ひとたび」や「目を見張るほどの」も自分で笑っている。正確な描写をする意識がなく、紋切り型に逃げているからだ。文自体が笑ってしまう原因に紋切り型がなる点の注意喚起もできたのではないだろうか。後半の「“マルチフリーランス”」は前半の「マルチディスプレイ」と掛けてみた。しかし、あえてヒゲカッコ(“”)で主張しているのが下品だ。「見てください」と押し売りしているようなもので、まさに筆者が自分で盛り上がって読者が見えていない……。
以上のように、自分で自分の至らなさを認められるのも文章の上達につながる。自分の文章を自分で冷静に見られる目を養っていきたい。
「読みづらい」から「読みやすい」文章へ
冒頭でも紹介したとおり、「読みづらい」文章は、読むにたえがたく、感情的なつらさを抱かせる。無神経な文章および表現で“読みづらさ”を読者に与えないよう心がけたい。不用意な体言止めや、手垢のついた紋切り型を避け、自分の言葉で正確に読みやすい文章を目指していこう。
執筆:山野隼
編集:田中利知
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