作文技術がわかりやすい文章をつくる

「わかりやすい文章」を書く技術を、大人になるまでにきちんと学んだと自信をもってあなたは言えるだろうか。少なくとも本記事を書いている担当にはその経験がなかった。仕事でもプライベートでも書く行為から逃れられない中、「わかりにくい文章」をあなたは書いているかもしれない。わかりやすい文章を書ける人になるために、実用的な作文の技術を一緒に身につけよう。
「実用的な文章」とは、事実をもとに制作する文章

ネイビープロジェクトは、「実用的な文章」の制作を相談される機会が大半である。どのような文章かといえば、以下の図における左側の群に含まれる文章だ。簡単にいえば「事実をもとに制作する文章」となるだろう。

特に多いのが、宣伝や広告に使用する文章だ。商品やサービスの紹介を行うためのコピーライティングや、企業のオウンドメディアに掲載するSEO記事が該当する。インタビューや対談などによって取材を組む場合や、文献やWebサイトをリサーチして記事化する場合もある。
作文技術は誰にでも習得できる

作文技術についてのコラムを、本サイトを通じて今後も継続的に掲載していきたい。「日本中のすべての文章を読みやすくしたい」と大きすぎるビジョンを掲げているのもひとつであるが、そもそも私たちも本サイトの運営によって作文技術の向上に向けて鍛錬を続けたいと考えている。
わかりやすく書くことは、才能ではなく技術である。
技術は誰でも学習してインプットでき、人に伝達してアウトプットできる。
作文も同様に技術である。つまり誰でも学習可能なのだ。
ネイビープロジェクトでは、本多勝一氏のメソッド(著作)をもとに作文技術の鍛錬に励んでいる。著作を読む中で、本多氏の言葉を借りながら説明すると、担当者は上のような考えに至った。本多氏も元々書き下手だったという。だからこそ「文章をわかりやすくすること」に注力できたと著作で語っている。
世の中にはさまざまな作文論が存在する

さまざまな視点で語られた「作文論」が世の中には存在する。絶対的な正解があるわけではないが、本多氏が懐疑的に捉えている作文論もあり、2つほど例を挙げてみた。
話すように書く
会話は考えずにいきなり話す場合が多いだろう。会話と同じように取り組めば、作文も硬くならず緊張せずに書けるとの考え方がある。しかし話すことと書くことは別物だ。話す際には、身振りや表情など言葉以外の補助的な手段を使える。メラビアンの法則では、会話における言語情報はたったの7%しか相手に影響を与えないともいわれる(視覚聴覚情報が93%)。本当に話すように書いたら、どのようになるか検証してみよう。下に例文を作ってみた。
こんやなにがたべたいあれいないのかなねえこんやなにがたべたいなんでもいいよいるんじゃんていうかなんでもいいならいぬのえさでもくわせるぞそしたらのこてるかれぇね
話した通りに書くとわかりにくいのが実感できたのではないだろうか。つづいて「技術」を使ってリライトしてみよう。
「今夜、何が食べたい?」
(あれ、いないのかな?)
「ねぇ、今夜何が食べたい?残って……」
「なんでもいいよ」
(いるんじゃん。っていうか、何でもいいなら犬のエサでも食わせるぞ)
「そしたら残ってるカレーね」
上記のように書けばわかりやすいだろう。今回は以下のような技術を用いてリライトを行った。わずかな会話分の中でも、9種もの技術を使い分けているからこそ、わかりやすく変化できるのだ(重要な「技術」は、別途記事を設けて使い方を考察していきたい)。
▼リライトで使用した作文技術はコチラ
- 発音通りに書かれているのを、現代口語文の約束に従うカナづかいに改めた。
- 直接話法の部分はカギカッコの中に入れた。
- 独白やつぶやきの部分はマルカッコ(パーレン)の中に入れた。
- 句点(マル)で文を切った
- 段落(改行)を使って、話者の交替を明らかにした
- 漢字を使って、わかち書きの効果を出した。
- リーダー(……)を使って、言葉が中途半端であることを示した。
- 疑問符を使って、それが疑問の気持ちをあらわす文であることを示した。
- 読点(テン)で文をさらに区切った。
もう一つ別の例を見てみよう。
どっこにもかあちゃんひとりしかいじましたおったおいいまだれもおどごあどあいねごっだそたにもなにへでよべえっとぁへってありってもいいごっだあははは
上は、本多勝一氏の著書『日本語の作文技術』(朝日新聞出版)で紹介されていた一文だ。岩手県二戸群一戸町面岸のおばあさんが語った言葉だという。上の文に本多氏が「技術」を加え、新聞記事になったものが以下である。
どっこにもかあちゃんひとりしかいじましたおったおいいま、だれもおどごあどあいねごっだそたにも。なにへでよべえっとぁへってありってもいいごっだ、アハハハ
『朝日新聞』1975年3月24日夕刊・文化面「新風土記」第397回
使われている技術は2・4・9の三つ。さらにカタカナを入れて合計四つの技術が使用されている。しかし書き換えたあとの文章も、これではまだ読みにくい。実は耳で聞いた方言の「わかりにくさ」を表現する狙いがあったため、あえて下の二つの技術しか使われていないのだ。
- 音便と拗音はそのまま使用
- 句読点は耳で聞いてもわかる部分だけ設置
もう少し多くの技術を使って、さらにわかりやすい文章にしてみよう。
何処にも母ちゃん一人しかいじましたおったおい今、誰も男ァどァ居ねごっだソタニモ。なにへで夜這えっとァ入って歩ってもいいごった、アハハハ
※「出稼ぎに出ていてどの家も男たちがいなくなったため、夜這いに入っても何も出ない」という意味
手を加えた文章だけで、下に添えた意味がわかるようにもなったのではないだろうか。つまり文章化のために技術を加えることで、耳で聞くよりも言葉はずっとわかりやすくなるわけだ。
ちなみに原型(どっこにもかあちゃん…)でさえも、東北地方の「ズーズー弁」を完璧に表現できておらず、方言から標準語にする技術が文字にする段階で加えられていると著作で紹介されていた。話し言葉を文字によって正確に再現するのは不可能と考えてもいいのかもしれない。その延長にある「話すように書く」も当然困難であると考えられるわけだ。
見たとおりに書く
「見たとおりに書く」は、「話すように」よりもさらに困難といってもいいかもしれない。見る行為の情報量が話す行為の音よりも膨大であるためだ。
たとえば山の景色をたった1秒だけ想像してみて欲しい。膨大な木々や葉、はたまた草など……さらにひとたび風が吹けば「見たとおり」が一変する。物理的にも現実的ではないのくわえ、仮に見たとおりに書き始めても書く人の主観がフィルターとなって情報が偏ったり限定的になったりするだろう。
日本語を英作文のように書くのがオススメ

「作文」がいかに技術的な作業であるか、あなたもイメージができてきたのではないだろうか。つづいて“作文とはどのような考え方で行えばいいのか”を考えてみたい。本多氏も著作の中で例示しているとおり、学校の授業で行った“英作文の書き方”をイメージするのをネイビープロジェクトではオススメしている。
英語の授業を思い出してみよう。文法を丁寧に学び、形容詞の場所を慎重に検討し、カンマの打ち方も前後の文脈を計算しながら英作文は行ったのではないだろうか。決して「話すように」作文してはいなかったはずだ。その意味では、外国語を話せる人が「語学ができる」と考えるのは誤解だと解釈してもいいかもしれない。「乞食でも英語を話す」との冗談がイギリスやアメリカであるように、「話せる」=「語学ができる」にはならないのだ。本多氏の著作では、同様の論を展開する他の書き手の言葉も紹介されている。
私たちは日本語に慣れきっている。(中略)
『論文の書き方』(清水幾太郎,岩波書店)
日本語を自分とは別の客体として意識せねば、これを道具として文章を書くことはできない。文章を書くというのは日本語を外国語として取扱わなければいけない。
逆にまったく会話ができなくても語学ができる人はいる。対象言語学など、学術的な語学を研究している人がまさに該当するだろう。すでに紹介しているとおり、書くことと話せることは違う。つまり日本語の作文も、英作文と同じように原則に基づいて本来は取り組むのが望ましいのだ。
作文技術の習得と向上を続けよう

「作文技術」といっても、実用的か文学的かによって入り口から異なると紹介した。そして実用的な文章を書くのには技術が必要である点も紹介できたのではないかと考えている。「読む側にとってわかりやすい文章」を書けるように、日本語の論理に則りしっかり基礎から技術を学んで書くのをネイビープロジェクトは今後も続ける。本記事も、駆けだしたばかりライターが勉強しながら書いたものだ。もし同じような境遇の人がいれば、作文技術の習得と向上を今後も一緒に続けていこう。
執筆:山野隼
編集:田中利知
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文章のわかりにくさは「修飾と被修飾の位置関係」にある 2022.10.17